生産者紹介
ここでしかできなかったものだな、と思っています
「肉の秋元」専務理事・秋元 雅幸さん(白河市大信地区)
白河高原清流豚
白河市大信地区。
この高原地域で、豚の繁殖から加工・販売まで、一貫して豚肉を生産する精肉店があります。
「白河という地域の、あの環境、あの地下水がなければできなかった」
そうおっしゃる秋元さんの、「白河高原清流豚」。
交配、生育、加工、販売、営業にイベントと、休日のない豚肉自社一貫生産に取り組む理由にはなにがあるのでしょうか。
この地域にある大切なものは、自然・文化財・人
「野出島地域活性化プロジェクト」副会長・本宮 直さん
(白河市野出島地区)
白河市野出島地区。
この地域では、地元の方の主催行事が、年に4回も開催されるとのこと。
5月上旬には”菜の花を見る会”。6月下旬には”ホタルを見る会”。
9月中旬には”そばの花を見る会”。そして11月中旬には、”新そば交流会”。
地域活性化の秘訣とは?
野出島地域活性化プロジェクトの、元気の理由をお伺いしました。
ここで、家族で、免疫力の高まる暮らしを
「梨本あぶらや」梨本清太さん(白河市野出島地区)
なたね油
梨本あぶらやは、菜の花の無農薬栽培から収穫、搾油までを一貫して行う、村の小さな油やさんです。
2012年に神奈川県からご家族で移住してこられたきっかけは、この地域の方たちが、「歓迎するからうちおいで。」と言ってくれたから。
この地域の方々とのご縁や、自分で栽培することを大切にされている梨本さん。
移住のきっかけや菜種油ができるまでのお話を、お伺いしました。
社会を変革するために
「社会福祉法人 こころん」常務理事施設長・熊田芳江さん
(西白河郡泉崎村)
こころんファーム、こころん工房、直売・カフェ こころや
泉崎村に、社会福祉法人の枠を越えて、野菜を育てる“こころんファーム”、お菓子を製造する“こころん工房”、“こころんファーム”で育てた野菜や、地元の美味しい食材を販売し、美味しいランチまで食べられてしまう、“直売・カフェ こころや”を手掛けている場所があります。
精神障がい者の問題は、個人にあるのではなく、現代の社会の問題。
「どうすれば今の社会を変革できるのか。」
熊田さんの挑戦は続きます。
これからの未来で、農業が生き残っていくには
「農業法人 でんぱた」取締役・鈴木正美さん
(東白川郡矢祭町)
矢祭※、野菜、ブルーベリー園、やまつーりずむ
都心に最も近い東北地方、矢祭町。
15年前から、当時は珍しかったであろう農業法人を立ち上げ、農業が残る未来にするためにはどうすればいいのか、を考えてきた鈴木さん。
単に農作物を栽培するだけでなく、その作物から付加価値をつけた商品を開発したり、観光に結びつけたりと、まさに6次産業化ともいえる会社です。
農業だけでなく、あらゆるビジネスのヒントが、ここにあります。
みんなが遊びに来れる牧場を目指して
「ふぁ~むつばさ」 乳クリエイター・清水大翼さん
(東白川郡鮫川村)
酪農
「いつかは、ここでソフトクリームの原料を作って、どこかの施設で売ってもらえるようになりたい。」
「観光牧場まではいかないけど、牛が外に出て、皆が訪れやすい牧場にしたい。」
と、夢を語る若い酪農家さん。
原発事故の影響のため、放牧させることができなかったり、干し草も県外のものを調達しなければいけなかったりと、課題は山積みですが、いつか、誰もが遊びに来れて、『牛って可愛いな』と思ってもらえる牧場を目指して。
「やってみたらいがっぺ」から始まった卵屋さん
「水野谷鶏卵店」 水野谷 薫さん(西白河郡中島村)
黒鶏の卵
自分で事業を始めるときに、「やってみたらいがっぺ」と養鶏をすすめられてから、鶏を飼いはじめて50年。
日本でも珍しい“ネラ”という品種の黒鶏を育てています。
「うちの卵のおいしさをわかってくれて、買いに来てくれるお客さんのために、私が責任をもって、美味しい卵をつくる。」
そんな考え方で事業を展開し、今では卵を売るだけではなく、直売所をオープンし、ソフトクリームをつくり、鶏肉や焼鳥、ソーセージまで販売する水野谷鶏卵店を、取材してきました。
りんごの見た目よりも、味を大切に
「ゆっくり村 相良園」 相良次彦さん(東白川郡塙町)
りんご、りんごジュース、天然醸造みそ
「見た目よりも味を優先。真っ赤にならなくてもいいから、美味しいりんごを作りたい。」
「美味しいものを作れば、それを受け取った人たちが、美味しかったよ。また送って~。と、必ずリピーターになってくれるから。」
という考えを持つ相良さんのりんご農園は、こだわりの“葉とらず栽培”でりんごをつくっています。
親子で届けるこだわりの蕎麦
「光明蕎麦耕房」生方光明さん(東白川郡塙町)
「光明そば」生方裕也さん(東白川郡棚倉町)
蕎麦
「ほんものの蕎麦を食べたい」という想いから、蕎麦打ちをするようになり、蕎麦を畑から作ってみるようになり。
いつしかその農業に取り組む父親の姿は、息子が追う背中となりました。
今は親子二代で、蕎麦の作付けから製粉、製麺、調理してお客さんの前へ提供するまでを一貫してされています。